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旅の光 [NOSTALGIA]

旅の光
 
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 ■ここ 

 どっかに行こうと私が言う

 どこ行こうかとあなたが言う
 ここもいいなと私が言う
 ここでもいいねとあなたが言う
 言ってるうちに日が暮れて
 ここがどこかになっていく

  (谷川俊太郎 『女に』より) 
 

 コロナ禍でのお籠りが始まってもう二年近くもどこへも旅行をしていない。定期的に周期的放浪癖がやってくるぼくとしては何とも言えず辛い日々が続いている。カミさんとの話も近頃は旅行に行けるようになったらどこへ行こうかという話が多くなっている。

 カミさんは、盛んにあと何回旅行に行けるかしらと…。そう、何となくお尻は決まっているのだ。それは寿命かも知れないし、体力や脚の限界かも知れないし、お金の限界かもしれないが、そう遠くない向こうにそれは待っている。そんなことを切実に考えるようになったのは運転免許証の高齢者更新がきっかけかもしれない。

 尤もぼくの場合旅行と言っても大抵はそこで何をするでもないのだ。昔からぼくは旅行の日程を立てたり、観光ルートを考えたりするのはからきしダメで、場当たり的で、どちらかと言えば旅先で飲み屋を見つけてそこで本でも読んでいたい方なのだ。一番の楽しみはその土地の酒と光と人であとは美術館か音楽会くらいで、それ以外はあまり気にしない方だ。一人で行く時は大抵翌日のこと位しか考えていない。

 だからカミさんと旅行するときはツアー旅行が助かるのだ。旅程など気にせずに唯ついて行けば良いのだし、もちろん時間の制約はあるのだけれど最近はハードな日程の旅行自体を避けているからそこは何とかなる。カミさんはツアーが良いのはぼくが極端な方向音痴なこともあると思っている節があるが、それもあるかもしれない。

 カミさんの言うようにぼく自身は確かに方向音痴だけれど、オレはスマホも携帯もない時代の大昔に一人でトマスクックの時刻表一冊片手に横浜からカサブランカまでたどり着いたんだから世界地図レベルでの方向感は大丈夫なんだと密かに思ってはいるけど…、時間通りにツアーの集合場所に中々たどり着けないのでは、そんなのは屁のツッパリにもならない。

 まぁ、一人旅の時はむしろ道に迷うことも楽しみの一つでもあるのだけれど、カミさんと二人で道に迷って時間に追われていたのではシャレにならない。こう言うといやいやカミさんと旅しているみたいだけど、全然そうではなくてカミさんとおしゃべりしながら旅をするのは何よりも楽しいし、気の置けない友達と旅をするのも同じくらい楽しい。

 一番うれしいのはカミさんも友人も写真は撮らないのだけれど、ぼくが旅先でその時々、その土地の光に魅せられてたたずみ、時にはカメラを向けている時にも急かせることもなく付き合ってくれることと、そして何よりも一緒に楽しい酒が飲めるということだ。これだけは一人ではできない。 


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その42~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その42~
 
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 ■犬があなたの膝に乗るのは、あなたが好きだから。でも猫が同じことをしても、それはあなたの膝の方が温かいからだ。(A.N.ホワイトヘッド)
 If a dog jumps into your lap, it is because he is fond of you; but if a cat does the same thing, it is because your lap is warmer. (Alfred North Whitehead)
 

  人生には「それを言っちゃおしまいよ」ということが幾つもある。しかも、それは厄介なことに歳をとるにつれて増えてくるような気がする。長く生きて「人生酸いも甘いもつまみ食い」(ジェーン・スーの言葉)をしてきた者としては、そんなこと知ってるよ、だけどそれをさも知ったように得意げに言うのは野暮ってもんだ、と心の中で呟いている。

 ただ野暮を承知で言わせてもらえば、膝の方が温かいから乗るのではない。それでは夏でも膝の上に乗ってくることの説明がつかない。ウチのモモはぼくが行儀悪く両足を机の上に乗せると、何処からともなく現れ、すかさずさっと寄ってきて膝の上に乗る。冬でも夏でも。

 しかもその乗り方には拘りがあるみたいで、冬は良いのだけれどぼくが夏に短パンなどをはいている時は、身体を小さくして何とかぼくの肌が露出した部分には触らないように苦労して何度も体勢を調整している。彼女にとっては表面に毛が生えていないヘンテコリンな部分は不気味なのかもしれない。

 ちょっと話が逸れたけど、要は膝が暖かいから乗るというよりは、そこが彼女にとって心地よいからなのだと思う。ジェイムズ・ヘリオットの言葉に「猫は、心地よさの鑑定家だ」(Cats are connoisseurs of comfort. James Herriot)という言葉があるように、猫は快適な場所を見つける天才である。

 彼女にとって冬でも夏でもぼくの膝が心地よいのであれば、もちろんぼくの膝はぼくの一部なのだから、それは彼女がぼくを好きなのだと解釈しても彼女に失礼には当たらないだろう。まぁ、いずれにしても猫飼いはそこら辺はすべて飲み込んだうえでお互いの「幸せな誤解」を楽しんでいるのだ。放っておいて欲しいものだ。

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