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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その39~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その39~

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 ■ きみはぼくの猫、そしてぼくはきみの人間。 (ヒレア・ベロック)
  You are my cat and I am your human. (Hilaire Belloc)


 この二月でアメショーのハルがウチに里子で来てからちょうど二年になる。来た時が二歳だから今四歳ということだ。ハルの里子の話があった時は随分と迷った。今まで何匹も猫を飼ったけれど、子猫で来てもみんなあっという間にぼくの歳を追い越してあっちへ行ってしまう。今までは…。

 ところがぼくも気が付くと七十を過ぎて、これから子猫を飼うとひょっしたらこちらの方が先に行ってしまうかもしれないという状況になってきた。と、いろいろ考えたのだけれどずっと最後までハルの面倒をみるのもこちらのボケ防止やら生きる励みになるかもしれないということで引き受けることにした。

 ハルは今でも目の病気やアレルギーなど医者通いはあるものの元気いっぱい毎日暴れまわっている。そのハルとも最近やっとお話が出来るようになった。ぼくもハルのしたいことが分かるし、向こうもこちらの言うことが分かるようになってきた。



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 ときたまハルがぼくの顔を覗き込むことがあるのだけれど、そんなときは冒頭のベロックの言葉のように「きみはぼくの猫。そしてぼくはきみの人間」だね、一緒に歳をとろうねという思いでハルの頭を撫ぜてやる。ベロックがこの言葉をどういうコンテクストで言ったのかは残念ながら分からないけど、彼は奴隷国家について考察を巡らせ、思考を深めた人なので猫とヒトは対等な立場としてとらえた言葉なのかな、と勝手に思ったりしている。

 動物の中には牛や馬や豚や羊など、いわゆる経済動物とみなされている動物もおり、それらは決して対等ではなくヒトに隷属的な関係に置かれている。もちろんペットだって冷徹にみればヒトと対等ではないかもしれない。ウチの猫たちみたいに長生きしてもらいたいと思って家の外には出さないことだって、彼等の意に添っているか分からないし、飼い主が餌をあげなければ餓死してしまうに違いないのだから。

 しかし、人間の他人同士でもそうかもしれないのだけれど、長いこと一緒に暮らすということは生き物同士の間に何らかの情緒的な絆をもたらすということもあながち否定することはできないと思う。今まで何匹もの一緒に暮らした猫たちを見送った時も、その時頭に去来するのは一緒に過ごした温かい時間とそのことへの感謝だった。

 ということで、今日も対等でありつつも、時には猫たちに叱られつつ、恐らくはヒトと猫の双方にとって幸福な誤解と容認に基づく関係の中で「きみはぼくの猫。そしてぼくはきみの人間」と呟きながら穏やかに一緒に暮らして行きたい。



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