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追悼 ウィーン三羽烏 [新隠居主義]

追悼 ウィーン三羽烏

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 ウィーンのピアニストパウル・バドゥラ=スコダ(1927~2019)が先月25日に亡くなったのだけれど、その時同じくウィーンのピアニスト、イェルク・デムスも今年の4月に他界していることを知って、そちらもショックだった。その頃はぼくもバタバタしていてその記事に気が付かなかったのだろうけど、うっかりしていた。

 亡くなったスコダとフリードリヒ・グルダ(1930~2000)そしてイェルク・デムス(1928~2019)は日本では「ウィーン三羽烏」と称して親しまれていた。三羽烏とはいかにも古い言い方だけど向こうでは「トロイカ」となるらしいが、この三人を括って特別な思い入れを持っているのは日本人が多いかもしれない。

 三羽烏のイェルク・デムスだけど、ぼくが彼の演奏を始めて聴いたのは1972年のハイデルベルク大学の大学講堂での演奏会でぼくはまだ二十代半ば、デムスも四十代の壮年の頃だった。四日間にわたる一連のバッハ演奏会の一夜だった。その時のチケットが手元に残っているけど当時の値段で2マルク50。その時の日本円に換算しても300円足らずの金額。学生街での学生だからこその特権かもしれない。

 それから彼は丁度往年の名ピアノ伴奏家ジェラール・ムーアのように一流の声楽家のピアノ伴奏家としてのキャリアと名声を積み上げていった。その後日本でも2004年にリリアホールで彼のリサイタルを聞いたりしたが、一番印象深かったのは2007年に友人に誘われて行った声楽家の岡村喬生のシューベルト「冬の旅全曲コンサート」で伴奏をデムスがやった時だ。当時76歳になっていた岡村喬生が冬の旅全曲を歌い通すのもすごかったけれど、80歳にならんとするデムスが全曲を弾いていることもすごいと思った。

 その時はたまたまコンサートの後に岡村氏を囲む昼食会があり近くのテーブルにぼくらも座っていたのでデムス氏に挨拶すると同時に以前から聞きたかった質問をすることができた。ウィーンのピアニストとしてはベーゼンドルファーのピアノが彼のお気に入りだと思い込んでいたので、それについて聞くと明確に「いや、ベヒシュタインがぼくは一番好きだ」と即座に答えた。その時の印象が強く残っている。これでウィーン三羽烏は皆居なくなり、またひとつ古い時代の区切りがついたような気がする。合掌。


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 *イェルク・デムスのCDで一番好きなのがこのGradus Ad Parnassum – Die Geschichte Des KlaviersというCDでサブタイトルに「ピアノの歴史」とあるように鍵盤系の楽器の歴史をたどって今日まで保存されている数々の名機を演奏している。先のベヒシュタインやベーゼンドルファーそしてスタインウェイなどの響きを聴き比べることもできて素晴らしいCDになっています。

 デムス自身が北ドイツのアルスター湖畔にクリストフォリ・ミュージアムというピアノの博物館のようなものを管理しそこに保管されているピアノも録音の中に入っているようです。また彼は東日本大震災のときほとんどが帰国したり来日を中止した欧米系の音楽家のなかで、敢えて来日しコンサートを開いてくれた数少ないミュージシャンの一人でもあります。

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