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半世紀を経て [gillman*s Lands]

半世紀を経て

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 ハイデルベルクから南に車で一時間くらい下ったところにマウルブロン(Maulbronn)という小さな町がある。ぼくがここを前回訪れたのは1970年の9月で、それからもう半世紀以上も経ってしまった。友人と車で東ドイツ地区や南ドイツを廻ってハイデルベルクに戻る途中だった。

 ここマウルブロンには12世紀に修道院が立てられて以来いろいろと紆余曲折があったが近世には修道院とともに神学校も併設され、ここではヘルマン・ヘッセケプラーヘルダーリンなども学んでいた。この神学校はシトー派の修道会が運営していたが、ドイツの西部にあるここマウルブロンの神学校は日本でいえばさしずめ関西の有名進学校の灘高あたりになるのかもしれない。

 一方、東ドイツのナウムブルクにはやはりシトー派が運営する神学校シュールプフォルタ(プフォルタ学院と呼ばれ現在も運営されているようだ)があり、そちらはフリードリヒ・ニーチェなどを輩出し、さしずめこちらは開成にあたるだろうか。この二校が当時のドイツで大学の神学部にすすむための代表的なエリート進学校だったようだ。
 
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 話をマウルブロンに戻すと、ヘッセはこの神学校に入るが結局ドロップアウトしてしまい大きな挫折感を味わうことになる。その辺のことは彼の作品「車輪の下」や「ナルチスとゴルトムント」に描かれているがそこに登場するマリアブロンの修道院がこのマウルブロンのことらしい。

 半世紀前にぼくがここを訪れたとき、そこにはまさにヘッセが青春をもがき苦しんだ時間が流れていたような気がした。ぼくが日本に居て勝手に頭の中で作り上げていたドイツの姿が目の前に広がっていたことに興奮した。その日の日記…。
 

1970年9月10日
 …ヘッセの生地カルフ(Calw)による予定であったがアウトバーンが事故で混んでいるので彼が神学校時代を過ごしたマウルブロンに向うことにする。このマウルブロンは僕がこのドイツへ来て以来一番強くドイツというものを感じた村であった。

 ファッハベルク(破風造り)の家々に囲まれた広場に面してヘッセの学んだ僧院が建っている。ロマネスクとゴチックの混じりあった僧院はひっそりと、まるでその中に立っている自分が数百年の昔に戻ったように錯覚させる位だ。

 胸が苦しくなるような感動と同時に何とも言いようのない安らぎが感じられる。本当にこの広場から数台の車と電灯が消えたなら僕には今が何年だか全く分からない。僧院の前のカスタニエの木と静かな音を立てる泉はヘッセの居たころと寸部たがわぬかも知れない。

 ドイツの中をドイツらしさを(むろん僕にとってのドイツらしさでしかないが)求めて駆けまわった結果このマウルブロンのこの広場にそれを見つけたような気がする。口-テンブルクのマルクト広場もハイデルベルクのコルンマルクトも供にドイツの、古きドイツの顔かも知れない。

 しかし僕にはこのひとつも派出さのない、むしろ沈んだ調子のこのクロスターホーフ(修道院)こそ僕のドイツそのものだと思える。段々と暮れてゆく広場の端に立って何回も自分でうなずいてみた。寒くなったらもう一度ここへ来よう。オーバ-の襟を立てて一人でゆっくりと歩いてみて自分の中にあったドイツはこれなんだと納得するのだ。僧院のユースホステルに泊る。


 今読むと恥ずかしくなるほどの高揚の仕方だけれど、当時のぼくはそう感じていたし、その思いは半世紀にわたって自分の中でくすぶり続けて、ある意味で伝説化されてしまったのかもしれない。半世紀を経てそこに再び立ってみると不思議な戸惑いに襲われた。近年世界遺産に指定されて立派なインフォメーションセンターなどができているが、大きくは変わっていない、しかし何かが違う。

 一瞥した外見は大きくは変わっていない。だが、注意深く見ると当時その木陰に癒された僧院の前のこじんまりとしたカスタニエの木は見上げんばかりの大樹になっていたし、敷地内の当時泊まったユースホステルだったと思われる建物はレストランになっていた。でもそれは時の流れで起こる当然の変化に違いない、きっと何よりも変わったのはぼくの方だったのだ。
 
 子供の時すごく広く大きく思えていた原っぱや建物が大人になって行ってみると驚くほど狭く小さいという事はよくあることだけれど…。あ、それとも違うな。失望や落胆とも違うし…。とにかく、この戸惑いに何か名前を付けないことには心が落ち着かない。ぼくはこれをとりあえずNostalgie(ノスタルジー)という言葉で一旦飲み込んでみることにはしたが…。
 

 
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 *旅行などのイベントではぼくは基本的には晴れ男であまり旅先で雨に降られた記憶はないのですが、今回は毎日、冷たい雨が降ったりやんだりでした。その中でたった一日だけ抜けるような青空の日があって、それがこのマウルブロンとハイデルベルクを訪れた日でした。

 マウルブロンの印象が変わった一つの原因はこのイタリアの空のように青く澄みわたった空にもあるかもしれません。モノクロからセピアの色調でぼくの頭の中に定着していたイメージとはとてもかけ離れていました。

 修道院の前の広場の泉の処では、地元の学生らしき若者が地面に持ち物を置いたままで溌溂とした声をあげながらじゃれあっています。それを見て少し心が和らぎました。この修道院の広場は世界遺産になろうとも剥製のモニュメントではなくて、彼らにとっては遊び場なのだと…。半世紀後、彼らの脳裏にのこるマウルブロンの姿はぼくのそれとは違うけれど、それはそれで素晴らしいものなのかもしれません。
 



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kuwachan

シトー派はフランスが中心かと思っていましたが
ドイツにもその勢力を広げていたのですね。
12世紀に建てられた修道院はギリギリでロマネスク様式だったのでしょうか。
by kuwachan (2024-11-11 16:22) 

夏炉冬扇

車輪の下、というのを兄が持っていて、ちらりと読みました。
ヘッセの記憶。
by 夏炉冬扇 (2024-11-11 18:28) 

そらへい

ハイデルベルクと言ういかにもドイツらしい地名を目にしたとき、なんとなくヘッセを思い起こしていたら、そのヘッセの記述が出てきて驚きました。
若きgillmanさんの興奮と高揚感が伝わってくる文章ですね。1970年というと、ヘッセが亡くなって10年も経っていませんね。
若さと若き高揚感が恥ずかしくて、ヘッセを読み直すことはないのですが読み直したら、gillmanさんが感じた違和感に出会えるかもしれません。ノスタルジーという名の。
by そらへい (2024-11-11 20:32) 

hagemaizo

ドイツの暗くて重苦しいイメージは、10代で車輪の下を読んだ時の印象のままです、こんなに青い空。
by hagemaizo (2024-11-11 20:57) 

めぎ

普段は曇りが多いんですよねぇ…うちの辺りもそうで、ブログに載せている青空の日って、本当は珍しいんですよね。
だから、かつてご覧になったマウルブロンのイメージも、曇りであれば今もほとんど変わらないのではないかなと思います。
ただ、半世紀の間に自分に起きた変化と、その町に若干でも起きた変化が、当時の感動とかみ合わなくなったというのも事実だろうなと想像します。ずっとここに住んでいる私でも、20年前と今との変わりように愕然とすることが多々ありますもの。
ヘッセは今のドイツではもうほとんど読まれていません。それもまた、時代の変化ですね。
by めぎ (2024-11-11 21:45) 

おと

澄みきった青空、本当にイメージが違いますね。その時その場の、一期一会の雰囲気ってあるなぁと思います。空気の重さとか、静けさとか、差し込む光の美しさとか。ノスタルジーとして心に残る景色は、けっして誰も見ることができないもの、とても素敵なことと思います。
by おと (2024-11-12 05:39) 

Inatimy

同じ場所でも訪れる年齢によって、感じ方も、興味を惹かれるところも、
まるっきり異なるのが旅の面白さでもありますね。
たくさん人生の経験を積んでからだと、
いろんな角度から物事を見られる余裕も出てくるのかしら。
by Inatimy (2024-11-13 23:34) 

よしあき・ギャラリー

感動しました。上等な紀行文と感じました。
by よしあき・ギャラリー (2024-11-18 05:48) 

ナツパパ

簡素ながらも素晴らしい教会内部ですね。
デコラティブな後世の教会よりも好感が持てました。
by ナツパパ (2024-11-20 10:47) 

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