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世界を埋め尽くす情熱 ザルツブルク大聖堂 [NOSTALGIA]

世界を埋め尽くす情熱 ザルツブルク大聖堂
 

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 先の一人旅の話の続きなんだけども…、20代で初めて欧州(当時はまだそんな言葉がぴったりだった)に渡った時、シベリア鉄道と飛行機を乗り継いで最初にたどり着いた大きな都市がモスクワだった。その後はじめて足を踏み入れた当時の西側自由圏の都市がウィーンだった。

 そこで最初に感じたのは西洋はつくづくと石の文化だなぁということ。同時にぼくらはいかに木に囲まれて暮らしていたかということだった。多くの教会を訪れたけれどもぼくの好きだった日本の寺院のような人の心を静謐にそして安寧にしてくれるような気配を感じることはできなかった。

 それはもちろん育った環境の要素が大きくて、西洋で育った人たちはそこに静謐と精神の安寧を感じるのだと思うのだけれど、ぼくには威圧という感覚の方が強かった。のしかかるような石の重み。西欧の街に住み始めてからも石の街で感じる孤独感は果てしのない、日本の寺院で感じるようなあのどこか包み込まれるようなある種居心地の良い孤独感とは無縁の感覚だった。それはまさに異文化の感覚だった。
 
 
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 それから、もう一つ感じていた異文化感覚が西欧の、巧くは言えないのだけれど、「世界を何かで埋め尽くしたいという情熱」のようなものだった。それは絵画や建築にも表れている。美意識の点からみても日本の文化は言わば「余白の文化」と言おうか、描かれないもの、語られないものに思いを巡らすという美意識、価値観のようなものがある。

 もちろん日本にも洛中洛外図や若冲の動植綵絵のように、画面の隅々まで埋め尽くしたいという情熱を持った絵も存在するけど、それは例外的なものに留まっている。ザルツブルク~ウィーンの一人旅でどうしても撮りたかったのがモーツァルトが洗礼を受け、カラヤンの葬儀が行われたザルツブルクの大聖堂の天井画だった。

 建物は17世紀に建築家のサンティノ・ソラーリの手になるものだが、天井画はドナート・マスカニートによるものとされている。その画家についてはぼくは余り知らないのだけれど、そこにはまさに世界を何かで埋め尽くしたいという並々ならぬ情熱が感じられる。絵画とその周りを囲む彫刻は目のくらむち密さで天井を埋め尽くしている。 

カメラを天井に向けて頸が痛くなって限界になるまで撮り続けたがもちろん切りがない。どこまで行ってもフレスコ画や彫り込まれた彫刻達が「まだだ、まだだ…」と言い続けているようだった。
 
 
 
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*絵画や建築で見られる「世界を何かで埋め尽くしたいという情熱」は西欧のものであると同時にバロック、ロココでその頂点を極める長きにわたって西欧を突き動かしていた時代の情熱だったのかもしれません。

 印象派などで幕開けした近代の西欧の美意識は産業革命を通してよりシンプルで機能的なものへと変質していったような気がします。しかし身の回りには今でも厳然として当時の美意識の世界が存在していることも確かだと思います。

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Baldhead1010

石の文化・・・冷たそうですが、「意志」の文化でもありますね。
by Baldhead1010 (2021-01-24 20:44) 

めぎ

ホントにぎっしりですよね。
圧倒される迫力で、だから一日に2つも3つも教会に入れません…
ザルツブルク大聖堂は数年前の早朝に2回ほど入ったきりです。
ちょっと大きすぎて、私の手に負えないという感じでもあって。
今年またザルツに行けたら、久々に行ってみようかしら。
by めぎ (2021-01-26 21:02) 

coco030705

ほんとに西洋の建築や宗教画には、圧倒されます。
石の文化ですね。建物が石が多いので、新築せずに改装して住み続けるのですもの。石の建物は壊せないからというのが理由みたいですね。
by coco030705 (2021-02-11 01:24) 

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